政治哲学と覚悟について語ることから市長は逃げた。そもそも哲学と覚悟がないので語れないということがはっきりしたが、この件は選挙で断ずるしかないということである。
原発問題についての回答があまりにもひどかったのでさらに質問したものと、それに対する回答が以下の通り。
【L-22】
長岡市長 磯田 達伸 様
令和2年10月23日付けの私からの市長への手紙に対して12月4日付けでいただいたご返事についてさらにお尋ねします。
【政治哲学と覚悟について】
市長の政治哲学と覚悟はすべての具体的行政・施策の根源であり、最も大切なことです。これをお尋ねしていますのは、磯田市長が打ち出されている諸施策を通覧したところ、その根源たる政治哲学と覚悟に疑問を感じるからです。
この点を問い糾すのは市長選挙しかないと理解しました。本来はこういうことにこそ「市長の手紙」を充てるべきです。市民と堂々と哲学論議ができる市長であってほしいからです。市民とともに歩むとはそういうことではないでしょうか。
【原発再稼働問題について】
いただいたご返事の要点は
①「新潟県知事に対して周辺自治体の意向をどのように取りまとめてゆくのかを明らかにするよう求めている」
②「市民の不安が解消されない限り再稼働をするべきではないとの姿勢貫く」
③「国や事業者から市民に直接説明してもらう」
とのことでした。
何か事務的で他人事のような態度であると感じました。魂が籠っていません。原発再稼働問題の根源は国全体の今後の「エネルギー政策」「地球環境問題」にあります。再稼働すべきかどうかの意思決定はその観点に立って哲学と覚悟を以て決めるべきものです。そこで以下の質問をします。
《質問1》
再稼働反対すなわち脱原発を決意する場合、経済のリセッションを伴うスローな社会へ回帰して耐える命がけの覚悟が要ります。並大抵のことではありません。対して再稼働に賛成する場合、事故によって命や故郷を失う覚悟が要ります。1000℃~6000℃という溶岩の玉のごく表面の薄皮の地面に乗って時速1600K/時という超音速で突っ走る乗り物の上で危険な原発を運転する危険性を覚悟する必要があります。「過去の地震・津波の最大以上の規準」「世界で一番厳しい基準」だから大丈夫だ、というのは人間の奢りです。
たかだか200年の歴史しかない科学技術などこの大宇宙の摂理の前では無に等しいことを知るべきです。
長岡の市民全員にこのことを説き、一人ひとりが真剣に覚悟を以て意思決定するよう導くのが政治であり民主主義長岡の市長の役目だと思いますがいかがですか?
市民全員に将来のエネルギーをどうするのか考えるよう啓蒙することこそ政治です。なぜそれを端折るのか、その理由を教えてください。
《質問2》
市民の不安が解消されたかどうかはどうやって判断しますか?
いかにも市民に寄り添っているように聞こえる文言ですが、思惑が透けて見えます。その思惑とは市議会での議決です。
殆ど与党の議員団、本質を離れ目先の損得で票を投ずる市民の衆愚を見越してのことではありませんか?
今の長岡市民に原発再稼働の是非を問うて、真に覚悟ある決心を引き出せると思いますか?衆愚による刹那的な答えしか出ないことは明白です。一昨年来の官製談合事件に中心的に関わった星野県議や磯田市長がその後の選挙で再選されるほど今の市民は衆愚を起こすような低レベルです。いかがですか?
《質問3》
市民の不安が解消されないとなった時、再稼働反対の姿勢を貫くとありますが、再稼働阻止はできますか?どうやってやりますか?
国や東京電力は再稼働を目指していることは明白です。市民に対して直接説明させることのナンセンスを知るべきです。あの手この手で再稼働の正当性を訴えるのは見え見えです。また広域自治体である県に「周辺自治体の意向をどうくみ取るのかを問い合わせ中である」に至っては負け犬の遠吠え的態度です。そもそも長岡市に再稼働事前了解権がないことをなぜもっと問題視しないのでしょうか?西寄りの風が吹くこの地では柏崎や刈羽よりもむしろ長岡の方が放射線の被害を受けやすいと思いますが違いますか?「国や県や立地自治体がなんと言おうと長岡市はこうだ!」という自発性・主体性がないのは何故ですか?
令和3年3月4日
小林 眞幸
【R-16】
何という不誠実で無責任な回答か!原発を語る資格がない。以下(その7)に続く。