長岡市政を糾し正そう・・・真の民主主義を求めて(その69)米百俵フェスに際して思うこと

長岡市政に関して常々感じている問題点の一つに「にぎわいを求める」がある。市が言うところの「にぎわい」に時代錯誤を感じるからである。少子化と人口減少、車社会の進行、ITの発達など社会の大きな変動のうねりに逆らって、嘗てのように人々が沢山集まってにぎやかになる事へのノスタルジアから脱却しきれていないように思えてならない。そう思う政策の一つは、長岡駅前に役所を移し市街地商店街を再興しようとすること、もう一つは一過性の底の浅い人々の集まりを求めて芸能人を呼んでのコンサートやイベント、お祭りへの傾注である。前者の典型例は「アオーレ」「米百俵プレイス・ミライエ」でいずれもハードウエア―から入っているという特徴がある。場所を作り建物を作ればにぎやかになるという発想から抜け切れていない。後者の例は「長岡まつり」や「米百俵フェス」「アオーレでのイベント」などである。祭りの発祥の精神から遊離しブランディングに傾く底の浅い営みと言える。いずれも「真の賑わい」からは程遠い。「真の賑わい」を本気で希求する覚悟があるなら上辺だけの小手先の政策ではなく長岡の行く末のビジョンを描きそれを実現するための工程設計をして人々の心を一つにして果敢にチャレンジすることが必要である。ビジョンの要諦は迷走している日本国家観を長岡が率先仮設し国家の振興に貢献できる「真の価値」を目指すことだと思う。維新の時代の長岡の先達がそう叫んでいるような気がする。

この件に関し先日出した市長への手紙【L-38】を掲載しておく。

【L-38】 

磯田市長殿

8月2,3日の「長岡花火」に続き、来る10月7、8,9,日の三日間にわたり米百俵フェスが開催されるとの公表がありました。メインプロモーターの一員として長岡市が積極的に関わっておられます。「花火と食と音楽」というキャッチコピーにありますように要するに「娯楽」です。また平素からアオーレ長岡では様々なイベントが開催されていますが一言で言うとどれもこれも「一過性の底の浅い娯楽的賑わい」です。官製談合事件で脱法界に逃げ込んだ市長が今度は原発問題で公約違反を犯すなど、市政は今重篤な問題を抱えています。今市政に求められるのは長岡の行く末のビジョンを描き、その工程の設計をし、実行してゆく覚悟と決心です。ビジョンの要諦は「真の価値の創造」だと思います。それなくして「娯楽」に興ずるのは単なる放蕩です。「娯楽」の前に

ビジョンをお示しください。市民はそれを切望しています。

 以上の想いを込めて以下質問いたします。

米百俵フェスは市政の全体の中でどう位置付けられていますか?

米百俵フェスは長岡市と市民にとってどのような利点があるとお考えですか?

長岡市の予算はどれくらい投入されますか?

米百俵フェスの事務局に市役所職員は何名参画していますか?

米百俵フェスの事務局はどこに設置されていますか?

 

これに対し次の回答【R-32】が来た。

 

これをご覧になってどう感じられたでしょうか?

魂のないロボットが書いたような回答文である。2万人の集客があったのは有名芸能人の引力であり、長岡市の魅力ではないことが解っていない。有名芸能人のイベントを渡り歩く「パリピ」と俗称される連中をかき集めているだけである。このような事業が長岡の重要な政策であると認識している上滑りの政策に市の尊い税金を注ぐことをもうやめなければならない。