長岡市政を糾し正そう・・・真の民主主義を求めて(その54)長岡市政の基礎疾患と合併症を引き起こした利権菌、泉田衆議院議員の告発

長岡市の官製談合事件の元になった県議がばらまいた「利権菌」は長岡市だけではもう増殖の余地がなくなり、国政選挙の場にまで毒芽を伸ばした。長岡市政の腐敗は既に行き着くところまで進行しており、死期を待つのみである。民主主義長岡市政を取り戻す残された手段はこの「利権菌」の駆除を必須条件とした「生まれ変わり」しかない。県議のお人形さんによる傀儡市政では、回復不可能であることが改めて表面化した。このことに気づき始めていた多くの長岡市民もこれで確信したことであろう。県議に負い目を抱く磯田市長もこの辺で観念し、退陣したらどうか。さもなくば利権菌変異株がまたぞろ長岡市に拡散する可能性が払拭できない。

長岡市政を糾し正そう・・・真の民主主義を求めて(その53)長岡市議会

前頁【その53】で官製談合事件と原発問題に関する市長への手紙での追及は終了した。真実を知るという目的を達成することができたし、併せて磯田市長が市長である限りこれ以上糾しても無意味であることから終了した。長岡市政を糾し正すために残された重要課題は「議会の民主化」である。去る9月13日付けでの私からの質問に未だに返事が来ないので改めて質問を出した。【GL-5】

 

【GL-5】

長岡市議会議長/議会事務局 様

 去る9月13日付けでお届けしました、議会の改革改善のプログラムをお示しいただきたいという私からの質問に対してまだご返事がありません。長岡市議会基本条例に従い改革・改善に日夜取り組んでいるとのご返事でしたのでその実行プログラムがあるはずですからお尋ねしました。

もしそういうプログラムがないのであれば、先の「議長選出方法の改変は議会基本条例の実行の一環である」とのご説明は論理的に成り立たないことになります。議長選出方法だけを単発的に摘まみ上げて変更したのは長岡市議会基本条例を守る為ではなく全く違うことを守る為であったことになります。何を守る為であったのかを教えてください。

 

令和3年12月2日

小林 眞幸

長岡市政を糾し正そう・・・真の民主主義を求めて(その52)原発問題の結末

前頁で示したように、原発問題でも遂に本性を現した。「市民の命と生活を守る」という公約は「嘘」であり「自身の利権を守る」が本音であることを宣言した回答であった。磯田市長が市長である限り「市長への手紙」での追及は意味がないことが確定したのでこの辺で終了し別の方法に転換したい。最後の市長への手紙【L-35】を掲載しておく

【L-35】

長岡市長 磯田 達伸 様

私からの市長への手紙(10月30日付け)に対して11月19日付けで回答をいただきました。「市民の命と生活を守る」という公約の嘘を自ら宣言され開き直った回答でした。すべての政策の根源は市長の「心根」にあるので、それを糾すために「市長への手紙」という一市民に与えられた唯一の方法で必死に続けてきましたが、真実を知るという目的を達成できましたのでこの辺で終了いたします。長い間ありがとうございました。

 

令和3年11月30日 

  小林 眞幸

 

長岡市政を糾し正そう・・・真の民主主義を求めて(その51)原発問題に関する問答の継続

【L-34】に対する回答が来た。磯田市政の本性を決定的に露呈した回答であった。市民の血税を食い物にした官製談合事件は、その限りにおいて被害は限定的であったが、原発問題は市民の命と生活が懸かる問題であり、質が異なる。市民の命と生活をも食い物にして、己の利権を守る態度は最早「磯田市政の終焉」を意味する。これ以上市長への手紙という手段で糾し正すのは意味がなくなった。別のステージへ転換しようと思う。下記回答(【L-34】に対する)を見れば磯田市政の本性が丸見えである。

 

【R-29】

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長岡市政を糾し正そう・・・真の民主主義を求めて(その50)原発問題に関する問答の継続

前頁(その49)で示したように来た回答が論点ずらしのひどいものだったので次の手紙【L-34】を出した。市長への手紙という恐ろしく悠長な手段は忍耐の要る方法ではあるが、こうして原発問題でも真実に到達できた。市民の大半が原発に不安を抱いていることが分かっている故、市長選での公約ではいかにも原発再稼働は阻止するかのような印象を与えるものとし、市民を騙した。官製談合事件に続き原発問題でも市民を騙した。騙された市民もそのことに漸く気づき始めている。

 

【L-34】

長岡市長 磯田 達伸 様

10月26日付けで戴きました回答を加え、磯田市長の原発に関する公約を心理哲学的に解析しました結果、次のことが明確になりました。指摘に対して答えると不都合な時、論点をずらしたり、はぐらかしたりすることが常態化することは心理哲学的に解明されています。中央政府でも「ごはん論」と揶揄されている下等なふるまいが横行しています。いただいた回答が「ごはん論」であることを示す最たることは、次のことです。

お聞きした①~⑩はすべて昨年の市長選時の磯田市長の公約の状態についてお尋ねしているのに、いただいた回答は、再稼働の今後の手続き論に摺り変えておられます。こうして市民を騙し、煙に巻いて自身の都合を押し付ける態度は、官製談合事件と全く同じです。10月5日付けの市長への手紙の番号をそのまま用いてまとめますと次のようになります。公約を公開した時点では、

 

①「市民の不安が解消されない限り」の箇所は「市民の不安が解消されずしたがって市民が再稼働に反対なら」という意味である。

 長岡市原発事故に備え避難計画の策定と訓練を義務付けられている。

 ③従って市民の不安は解消されないことが決定している。

 ④「・・・再稼働すべきでないという姿勢を貫きます」の箇所は「・・・再稼働を阻止する」ということである。平成29年12月の議会会議録に「多くの市民の不安が解消されない状態では再稼働を止めるという思いも公約に含まれる」と答弁されています。また「貫く」という強い言葉は世の条理にてらした常識的解釈では「止める」ということですし多くの市民はそう認識しています。

 ⑤この公約を公開された昨年の市長選の時点では阻止する手立ては準備できていないままであった。

 ⑥今年5月に周辺自治体を代表して「要望書」を出されました。その要望書は、いかにも再稼働阻止の段取りをつけていることを印象付ける姑息なやり方であった。本来なら「長岡が反対なら知事は反対してくれますか」と詰め寄るのでなくてはおかしい。そしてもし知事が言葉を濁したら、再稼働を阻止する別の手段を即座にめざすべきところ、そうしていない。

 ⑦本日10月30日時点で花角知事から周辺自治体の意向の取りまとめ方の発表はないままである。つまり再稼働阻止の手立てはないままである。

 ⑧従って現時点では長岡市の民意として「再稼働反対」となる可能性があるが、その場合公約通り再稼働を阻止する手立ては確立していないままである。

 ⑨公約を果たし得るもう一つの手段「事前了解権を含む紳士協定」の再締結は考えていない。

 ⑽現在東電のテロ防止策の不備により、再稼働準備禁止という行政処分で再稼働に向けた準備が停止しているが今般始まった再検査や県の検証もやがては終了し合格となることが予測されるがその時の長岡の行動について画策している。

 

【質問1】以上の①~⑽を統合すると、磯田市長の公約「市民の命と生活を守り抜く」や「市民の不安が解消されない限り再稼働には反対の姿勢を貫く」は大嘘で、市長選での票固めのための虚構で市民を騙したことになる。反論ありますか?神妙にお答えください。

【質問2】その画策している長岡の行動は心理哲学的に容易に推測できます。

❶花角知事とアンダーテーブルで申し合わせをし、長岡は「再稼働反対」という意思表明をしますが知事の判断に全て委ねますので悪しからず、とする。市民に対しては強硬に再稼働に反対したが長岡の力の及ばないところでその思いが届かなかった。公約は最後まで守った。

❷官製談合事件でも功を奏した「議会とのなれ合い」を今回も用いて「再稼働賛成」を議決する。そうすることで公約は無用化できる。

この二つに一つでしょう。どちらにされますか?長岡の市民をこれ以上愚弄するととんでもないことになりますことを覚悟してお答えください。

 

最後に申し上げます。私は趣味で市政を糾しているのではありません。一つしかないライフワークを犠牲にして子や孫たち、次世代のために投じています。インテグリティーのある決心で市長への手紙を書いています。それを承知の上、回答ください。

 

 

令和3年10月30日 

  小林 眞幸

長岡市政を糾し正そう・・・真の民主主義を求めて(その49)原発問題に関する問答の継続

前々頁で示した市長への手紙【L-33】に対する回答がようやく来た。相変わらず真正面から答えず、誤魔化し、はぐらかしの意図が見え見えの文面である。【L-33】①~⑽はすべて磯田市長の公約の中身についての質問であるのに、県や知事の状況に擦り付けて言い逃れをするものであった。今回の問答で磯田市長の公約は市民の命と生活を守るというインテグリティーを持った決心ではなく選挙での票固めのために市民を騙した「嘘」であったことが鮮明になった。

柏崎刈羽原発7号機はテロ対策不備で国から行政処分を受けて再稼働準備が停止しているが今般始まった再検査で合格となった場合の磯田市長と花角知事の振る舞いは目に見えている。

長岡磯田市長は  

①議会議決で賛成を得て、公約不用に持ち込む。      ②市長判断で「再稼働反対」とする。この場合「知事判断に委ねます」とのアンダーテーブルでの茶番劇をする。市民に対しては「強硬に反対したが通じなかった」と言い訳し、公約を果たしたと市民を騙す。の二つに一つであろう。

花角知事は何等かの方法で「再稼働容認」の決定をする。

こんなことを赦して良いのか!

 

【R-28】

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原発問題での真実(磯田市長の欺瞞)は確定した。官製談合事件と全く同じである。「市民を愚弄し、欺いて、自身の利権を守っている」ことにおいて両者はぴったり重なる。

長岡市政を糾し正そう・・・真の民主主義を求めて(その48)長岡市の民主主義に思う

原発問題と議会のあり方について追及中であるが、長岡の民主主義の現状について思うところを記録しておきたい。

 

民主主義とは民の主(ちから)を実現するために民が力(ちから)を持つことが原点である。古代ギリシャで芽生えたとされる民主主義はまさに民の力であった。

 長岡の今は民の力が極端に衰え、劣化したため利権主義の政治屋を生み、衆愚政治ポピュリズムが蔓延り民の主が消え失せた状態である。日本全体がその傾向にあるが、長岡はその先端を行っている。民の代弁者であるはずの議員が権力主義の市長を忖度し、もたれ合って権力のおこぼれを貪る様は、堕落などのレベルではなく腐敗である。官製談合事件の真犯人である人物が市長に再選されるなど、その腐敗ぶりは惨憺たるものがある。

 もうこの辺で長岡の民が覚醒し、真の民主主義の奪回に向けた行動を取り戻さないと大変なことになる。今のままでは子や孫に長岡を引き継ぐことは到底できない。

 

民の力とは

①政治は自身が行うものであるという自覚と関心を持ち、

②真摯で誠実な決心で正義すなわち真なる善を求め、

③信託を与えるに足り得る代理人(市長と議員)を見抜き選ぶ、能力と態度である。

 

この事に長岡市民は気づき始めている。これまで選んできた市長や議員では本当の民意を反映した政治ができないことを。歪められた長岡市政を糾し正すきっかけとなる日もそう遠くないと実感する。