長岡市政を糾し正そう・・・真の民主主義を求めて(その56)長岡市政の基礎疾患と合併症を引き起こした利権菌、泉田衆議院議員の告発続き、

本件で気になることとして以下のことを追加しておきたい。今回の泉田衆議院議員の告発の経緯や理由・目的の真実は分からない、と前ページで述べたことに変わりはないが、常識的に、当たり前に考えれば、かなりの高確度で推測はできる。

泉田候補が新潟第5区の票田の中心を牛耳る星野伊佐夫県議と選挙戦の大事な時に面会した事由は何の不思議もない。しかしその後の経過に対する各紙報道にある「泥仕合」という見方には反発を感じる。先の長岡市官製談合事件の真相追及をし、その真実を肌で突き止めた立場からはそのような冷ややかな野次馬的な感想は出てこない。票田を握る星野伊佐夫県議が「表の金」の話を泉田候補と二人きりでしたなどとは到底思えない。物事には「筋」というものがある。この話の筋から言えば、利権を追い求める星野伊佐夫県議が「裏金」を要求したということである。国政にしろ地方政治にしろ今、「筋」の通った本質論でなく躱したりはぐらかしたりの「喧嘩」が多すぎる。

星野伊佐夫県議と長岡市前・現市長が主犯して起こした「長岡市官製談合事件」を今回の一件で再燃させ、長岡市に民主主義政治を取り戻す好機としなければならない。

今は反対に星野伊佐夫県議の息のかかった長岡市議は火消しに躍起となっている姿が目に浮かぶ。

そしてテレビの取材に応える星野伊佐夫県議の言動を見て心理哲学的に分析すると、官製談合事件での役所の情報漏洩や今回の裏金の話に関しては「大して悪いことではない、政治の大義のためには必要な小悪であり、騒ぐ方がおかしい」と心中で叫んでいるのがありありである。

泉田衆議院議員の今回の告発事件で長岡市官製談合事件を含む「非民主主義長岡市政」というチャートの解像度が飛躍的に上がり、それを追記したので再掲しておく。

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このチャートを眺めながら幾つかの所感を書きとどめたい。

◆【法の限界】長岡市官製談合事件は明らかな組織犯罪であり主犯格は星野伊佐夫県議と森・磯田両市長であることは疑いの余地はない。にもかかわらず、刑法によって裁かれたのは県議秘書と長岡市役所幹部職員2名および民間会社幹部社員の4名のみであった。社会の公正・正義を守るはずの「法」が逆に「不正」・「悪」を守った。「法」は違法と遵法の境界線を引くことで成り立つ。境界線を引くということは悪意ある者に脱法の手段を教えることになってしまう。

◆【民主主義の弱点】官製談合事件の主犯格の星野伊佐夫県議や磯田市長がそれぞれの選挙で再選された。新潟県民・長岡市民が官製談合事件の真実を知らないか、知っているが許したということである。民は現ナマに目を眩ませやすいという歴史の再現をまざまざと見た。所謂「衆愚=ポピュリズム」である。民主主義が陥りやすい弱点の一つが今長岡で露呈している。

◆【天の助け】今回の泉田衆議院議員が告発した星野伊佐夫県議の「裏金要求」問題は星野伊佐夫県議のダーティーさを証明したものであり、結果的に長岡市政がいま罹患している金権・利権病の根絶に向けた大きな動機となるに違いない。市長の首根っこを押さえ、議会の多数派を牛耳り、議長をも手なずけて長岡市政を振り回している権力者・星野伊佐夫県議と絶縁する天の助けとなるであろう。

◆【公に仕える】利権に目が眩み、市民を騙し欺く磯田市長の悪政はその功績面を差し引いたとしても長岡市政にとってこれ以上許されるべきではない。公に仕える真の志を持ったリーダーの登場を願うばかりである。

◆官製談合事件、原発虚偽公約に次いで、発生しつつある長岡市の合併症について述べておきたい。名付けて「虚賑症」という。そしてこの虚賑症は進行するとやがて重大な財政危機を招く。社会全体が少子高齢化の流れにある中、それに逆らうように表面だけの賑わいを画策して一過性のイベントやお祭り、集客を企図してのプレイスの設立など、血税の浪費が目立つ。虚賑ではなく真の賑わいを得るには、イベントや建物・プレイスではなく、人々の心の中から湧き出る文化活動意欲の醸成が不可欠である。

米百俵フェスでプロの芸能人を呼んでお祭り騒ぎをしても長岡の文化振興醸成にはつながらない。米百俵プレイスで集客しても外見だけの賑わいにしかならない。歴史と文化・教育を標榜するなら、もっと足を地につけた地道な文化醸成活動にこそ投資するべきである。少子高齢化を覚悟し、「豊かな小都市」を目指すべきである。豊かさは人々の心の中に宿る普遍のものでなくてはならない。