長岡市政を糾し正そう・・・真の民主主義を求めて(その63)民主主義実現の障害

前頁(その62)で二件の受理された「陳情」を記載したが、少し脱線して言っておきたいことがある。日本の政治において今も「陳情」や「請願」という用語が厳然として用いられていることへの疑念についてである。これらの用語の起源は知らないが、少なくとも戦後の民主主義時代に生まれた用語ではないことは確かであろう。

「陳情」とは「目下の者が目上の者に対して実情を訴え意向を述べる」ことである。

「請願」とは「絶対的権力者(君主、神、菩薩など)に対して助け給えと請い願い奉る」ことである。つまり極論すれば役所・議会は民に対して「お上」であり「お神」なのである。

どう考えても民主主義とは相容れない前近代的用語である。封建時代、中央集権時代、国家主義の時代の用語が今も生きていることに改めて驚きを感じる。言葉は文化の遺伝子であると思う。長岡市政と関わってきて痛切に感じていた「お上」「お神」意識はこのような言葉に由来しているのではないかと思えてきた。民主主義の実現を阻んでいるのはもしかしたらこういう古めかしい用語かもしれない。民主主義にふさわしい用語に改定するよう、それこそ「陳情」「請願」したくなった。