長岡市政を糾し正そう・・・真の民主主義を求めて(その37)原発に関する磯田市長の公約の欺瞞

昨年10月4日に行われた長岡市長選挙時の長岡市選挙管理委員会の公報によると原発に関しての磯田候補の公約は「『原発は、市民の不安が解消されない限り、再稼働すべきでない 』という姿勢を貫きます。」とある。前頁(その36)ではこの公約に関する疑念を基に再質問してあるが回答が来るまでの間、今一度この公約の欺瞞について指摘しておきたい。

 第一の点:この公約文を見て市民はどう感じるかという点である。私の身の回りの人々に片っ端から「どう感じるか?」と問うと95パーセントが「再稼働反対ということでしょ」であった。この公約は95パーセントの市民が磯田候補は原発再稼働反対なんだと印象付ける企みが籠っているのである。これに多くの市民が騙されている。その証拠は以下の点を見れば解る。

 第二の点:「市民の不安が解消されない限り」という箇所の罠について。この文言の背後には「市民の不安は国の審査や県の三つの検証でOKとなれば長岡市民の不安は自動的に解消されたと見做し得る」という思惑が隠されている。不安が解消されたかどうかを客観的に示し得る方法例えば住民投票、市長選によって信を問う、議会での賛否などを腹案として持っているのではない。初めから不安は解消し得ると踏んでいる。

 第三の点:立地自治体である柏崎や刈羽以外の周辺自治体の意向は県がしっかり取り込んで最終判断することになっていることを誇示‣強示するために花角知事に要望書を提出する一幕を演出していること。花角知事との茶番劇である。

 第四の点:以上の三点を総合すると、長岡市としては知事に要請するだけで全てを知事任せにしていることになる。要するに何もしないということである。結果がどう出ようが公約を果たしたことになるからくりになっている。

長岡27万の命と暮らしを守る気概は全くない許しがたい公約である。

 

以上の諸点からこの公約は偽りと騙しに満ちており公約とは程遠い偽騙(ぎへん)である。公約違反とは公約そのものは立派であるがそれを守らなかった場合のことを指すが原発に関する磯田市長の公約は公約の名を借りた偽騙(ぎへん)であり、違反よりはるかに悪質である。市民を愚弄している。市政が「衆愚政治」や「お上(神)意識」のために利権病という重篤な基礎疾患を患っていることに起因する合併症がここにも発症した。官製談合事件と根っこで相通ずる問題である。このまま放置すると財政面他様々な面でも合併症が発生するであろう。いやもう発症しているかも知れない。