長岡市政を糾し正そう・・・真の民主主義を求めて(その27)「お上意識」についての補足

前頁(その26)で長岡市役所に蔓延する「お上意識」について指摘したがふと思い出したことがあるので補足しておく。「役所は絶対に間違わない」→「間違ったとしてもその責は民にある」。こんな前近代的な思想風土が現在の長岡市に厳然として生きている。「お上」を超えて「お神」となっている。

ローマカトリックの用語であるが、最高の統治権を持つ教皇が信仰・道徳上の正式な決定をする場合、神の特別な保護下にあるので絶対に誤ることはあり得ないとする考え方があり、これを「教皇不謬性」という。

この用語を用いると長岡市役所は市政にあたり誤りはしない「役所不謬性」という信託を得たとしている。なんともかび臭い。