長岡市政を糾し正そう・・・真の民主主義を求めて(その26)染みついた「お上体質」を改めるには

前々頁(その24)で民主主義の原点である「民の主(力)」とその支配原理について触れたが、追記し補足しておきたいことがある。

◆先ず原点である「民の主(力)」についての補足

 民主主義というとき「主義」であるから「・・・イズム」という抽象的な概念という響きがあるが元々は具体的な事象としての「民の力」であり、民の知識、情報、判断力、哲学など必要なすべての面で政治するに値するレベルにあることが前提である。今、長岡の民はこの点どうであろうか。古き良き時代の価値観をそのまま引きずり、政治のことは「お役人様に任せておけば良い」として、政治に必要な「力」をつけるための欲求と努力が欠如しているように思う。「お役人様」つまり為政者はこういう民の無知蒙昧さを良いことにして、それを梃にして己の権力を貪っている。私はこれを「衆愚政治」(広い意味でのポピュリズム)と先のページで定義した。地元出身、地元代表のお役人様を妄信し、選挙してしまっている民の方が多い(先の市長選を見れば明らか)。真に民主主義を目指すなら民はつまり市民は己の「力」をつけ「主」たる資格を希求し努力しなければならない。また為政者は民が「力」をつけるための啓蒙をしなければならない。啓蒙することが治める事に直結することを知らねばならない。いまは啓蒙とは真逆の「梃」にしている。

◆次に原点を支配する原理にかかわる深刻な「お上体質」について

 支配原理の第一は真実に対する絶対的価値観、第二はその絶対的価値観に基づいて発出する「真理」を受容した謝罪と再出発意欲には寛容でなければならないことであると述べた。深刻なのは、真実の背後にある真理の一つ「人は間違いを起こす」を認めようとしない傲慢なお上体質が役所の末端まで染みついていることである。

 自身が経験したことであるが住居を一時大阪に移したとき、長岡市が間違って住民税の請求書をよこし二重払いになったことがあった。この時長岡市から来た通知は、「私(小林)が過誤納したので還付請求せよ」であった。間違ったのは役所であると抗議したが、認めようとせず、抑え込まれた。類似のことは他にもいくつか経験している。「お上は間違いを起こさない」という神話が役所内末端組織細胞まで染みついている。役所も人が運営しているから時に間違いを起こすことは真理であるのにこれを認めようしない。民主主義の原点を支配する原理から外れたままである。官製談合事件の真犯人である磯田市長が真実を白状しないのはもしかしたらこの「お上体質」からかもしれず、ご本人は白状しないのが当たり前になっているのではないか。この真理に逆らう悪しき体質を改善するには相当のエネルギーが必要であるように思う。