長岡市政を糾し正そう・・・真の民主主義を求めて(その15)衆愚政治(ポピュリズム)の根治に向けて続き

 百条委員会設置議案は否決されたが、改めて考えてみると、その否決理由がまことに不可思議で奇妙なものであることに今気づいた。「判決が確定し、更生中の元職員や関係者に公の場でこれ以上の調査を行うことは、確定記録法に規定する保管記録を援用する限り、常に法律違反の懸念が拭えない事態に陥るため」というのが理由であったがこれは全くの的外れで奇妙である。法律違反の懸念が全くない状態で保管記録の援用をすることは十分可能で、むしろ推奨されるべきものだからだ。法律で許された範囲で保管記録を活用し、再発防止のために用いることは法の精神の勧めるところですらある。裁判よりもっと厳しい組織内部規律に照らし、再発防止を図ることに保管記録を用いることは全く問題はない。市が上のような理由にならない理由を並べて保管記録の援用を阻止しようとするのは保管記録を援用されると事件の真相に近づかれ、組織犯罪であることがバレると恐れているためであることは明白である。本当に組織としては身に覚えがなく職員個人の倫理観欠如が事件の原因であるというなら、むしろ自ら進んで百条委員会の設置を提議し、証ししようとすべきである。事件に関する質問をしようとする議員の口封じをしたり、真相解明の調査を拒んだりすること自体が組織犯罪であることを認めている証拠である。このことに気づき始めた市民の声なき声が聞こえ始めた。これからこの声が大きなムーブメントになって行く予感がする。