長岡市政を糾し正そう・・・真の民主主義を求めて(その11)長岡市政の民主主義の危機

(その10)に続き長岡市政の民主主義の危機について追記しておきたい。長岡市官製談合事件という症状になって現われた「利権病」という基礎疾患の原因はつまるところ「長岡市民の衆愚」であると述べたが、この点についてもう少し詳察しておきたい。

市民の大半が「人口27万人全体の構成員の一人である」との自覚が希薄で、「町内会の一員」あるいは「所属する業界や商工会の一員」という自覚しかない。市議も「地元町内会意識」あるいは後ろ盾になっている「業界・商工会意識」が強く、長岡市全体最適の追求の責を負っている意識が希薄である。各市議のカバーリングテリトリーが決まっており、地元や業界・商工会への忖度による利益誘導が最優先事項になっている。自身の票田であるからある程度は仕方のないこととして認めるとしても度が過ぎている。つまり長岡は「田舎」であり「古い価値観」であって「近代的中堅都市」ではない。総合計人口が27万人というだけの田舎なのである。だから議員たちは本来の使命の一つである市行政の監視役を放棄し、絶大な行政権を持つ市長と役所へのもたれかかり、市長や役所は本来緊張関係にある議員の口を封じ込むというもたれかかり、が生じてしまっている。全く情けなく恥ずかしい状況にある。絶大な行政権と議決権が結託しているから、どんなことでもまかり通ってしまう。恐ろしい状態が今長岡で起きている。市民はこのことに早く気づき、衆愚から覚醒しなくてはならない。

 

磯田市長に声を張り上げて言いたい。「本来市長の役目の神髄は市民の啓蒙であり、それさえ怠りなくやっておれば民主主義下においては市政は概ね安泰であるとの観念を取り戻し、市民の啓蒙に励んでもらいたい、市長の本来の役目を果たしてもらいたい」と。

「市民を軽視し愚弄し欺く利権政治をやめてまともな市長に回帰してほしい」と。「それができないならさっさと辞めてもらいたい、それが市民に対する責任の取り方だ」と。