長岡市政を糾し正そう・・・真の民主主義を求めて(その49)原発問題に関する問答の継続

前々頁で示した市長への手紙【L-33】に対する回答がようやく来た。相変わらず真正面から答えず、誤魔化し、はぐらかしの意図が見え見えの文面である。【L-33】①~⑽はすべて磯田市長の公約の中身についての質問であるのに、県や知事の状況に擦り付けて言い逃れをするものであった。今回の問答で磯田市長の公約は市民の命と生活を守るというインテグリティーを持った決心ではなく選挙での票固めのために市民を騙した「嘘」であったことが鮮明になった。

柏崎刈羽原発7号機はテロ対策不備で国から行政処分を受けて再稼働準備が停止しているが今般始まった再検査で合格となった場合の磯田市長と花角知事の振る舞いは目に見えている。

長岡磯田市長は  

①議会議決で賛成を得て、公約不用に持ち込む。      ②市長判断で「再稼働反対」とする。この場合「知事判断に委ねます」とのアンダーテーブルでの茶番劇をする。市民に対しては「強硬に反対したが通じなかった」と言い訳し、公約を果たしたと市民を騙す。の二つに一つであろう。

花角知事は何等かの方法で「再稼働容認」の決定をする。

こんなことを赦して良いのか!

 

【R-28】

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原発問題での真実(磯田市長の欺瞞)は確定した。官製談合事件と全く同じである。「市民を愚弄し、欺いて、自身の利権を守っている」ことにおいて両者はぴったり重なる。

長岡市政を糾し正そう・・・真の民主主義を求めて(その48)長岡市の民主主義に思う

原発問題と議会のあり方について追及中であるが、長岡の民主主義の現状について思うところを記録しておきたい。

 

民主主義とは民の主(ちから)を実現するために民が力(ちから)を持つことが原点である。古代ギリシャで芽生えたとされる民主主義はまさに民の力であった。

 長岡の今は民の力が極端に衰え、劣化したため利権主義の政治屋を生み、衆愚政治ポピュリズムが蔓延り民の主が消え失せた状態である。日本全体がその傾向にあるが、長岡はその先端を行っている。民の代弁者であるはずの議員が権力主義の市長を忖度し、もたれ合って権力のおこぼれを貪る様は、堕落などのレベルではなく腐敗である。官製談合事件の真犯人である人物が市長に再選されるなど、その腐敗ぶりは惨憺たるものがある。

 もうこの辺で長岡の民が覚醒し、真の民主主義の奪回に向けた行動を取り戻さないと大変なことになる。今のままでは子や孫に長岡を引き継ぐことは到底できない。

 

民の力とは

①政治は自身が行うものであるという自覚と関心を持ち、

②真摯で誠実な決心で正義すなわち真なる善を求め、

③信託を与えるに足り得る代理人(市長と議員)を見抜き選ぶ、能力と態度である。

 

この事に長岡市民は気づき始めている。これまで選んできた市長や議員では本当の民意を反映した政治ができないことを。歪められた長岡市政を糾し正すきっかけとなる日もそう遠くないと実感する。

長岡市政を糾し正そう・・・真の民主主義を求めて(その47)原発問題に関する問答の継続

前々頁に掲載した原発問題に関する最新の手紙【L-32】に対する回答【R-27】が来た。肝心のことには答えず、相変わらずのらりくらりの躱しの回答であった。

 

【R-27】

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角度と言い方を変えて質問【L-33】を出した。

【L-33】

長岡市長 磯田 達伸 様

原発問題は特別重要な政策問題ですので継続提案と質問をします。戴きました回答は肝心のことにはお答えいただけておりませんので角度と言い方を変えてさらにお尋ねします。

 原発問題に関する磯田市長の公約「原発は『市民の不安が解消されない限り、再稼働すべきでない』という姿勢を貫きます」についてこれを展開し順次以下質問します。

 

 質問① 「市民の不安が解消されない限り」の箇所は

「市民の不安が解消されず、したがって市民が再稼働に反対なら」という意味であると理解していますがそれでよろしいですか。不安が解消されないが、再稼働には賛成するということも論理的にはあり得るのでお尋ねしています。

 

 質問② 国の原子力災害対策特別措置法長岡市は避難計画策定と訓練を義務付けられている地方自治体であると理解していますがそれでよろしいでしょうか。

 

 質問③ 国が避難訓練計画策定と訓練を義務付けているということは、国が「原発事故は発生する」という不安を抱いているということになりますので、長岡市民は必然的に不安を抱いている、即ち市民の不安は解消されないことが決定していることになりますがそれでよろしいですか。

 

 質問④ 「・・・再稼働すべきでないという姿勢を貫きます」の箇所は、煎じ詰めて言うと「・・・再稼働は阻止する」ということになりますがそれでよろしいですか。

 

 質問⑤ この公約を公開された時点で再稼働を阻止する手立ては準備できていなかったと思いますがそれでよろしいですか。

 

 質問⑥ この公約を公開された時点では、もし市民の総意が再稼働反対であるということになったら、その意思を知事に取り入れてもらい、再稼働を阻止するというのが思惑としてあった。それでよろしいですか。

 

 質問⑦ 本日(10月6日)現在、花角知事から周辺自治体の意向の取りまとめ方の発

表はないままであり従って不安が募る。それでよろしいですか。

 

  質問⑧ 現時点では長岡市の民意としては「再稼働反対」となる可能性はありますが、そうなった場合公約通り再稼働を阻止する手立ては確立していない。それでよろしいですか。

 

 質問⑨ 以上現状を論理展開すると公約を果たし得る方法としては長岡市民の意向を

「再稼働容認」とする画策をするか、あるいは遅ればせながら、事前了解権を含む紳士協定を東電と締結することを目指すしかないのではありませんか。

 

 質問⑩ 国の審査や県の検証の結果再稼働ができない状態は磯田市長の公約外の話であり、公約を果たしたことにならず、公約は無用であった状態だと思いますが違いますか。

以上①~⑩までの箇条ごとにストレートに真正面からお答えください。

 

令和3年10月6日 

  小林 眞幸

 

こうして整理してみると磯田市長の公約は大洞を吹いて市民を愚弄していることが鮮明に分かる。公約を守る意思は初めからなく、原発に慎重な印象を与えて市民を騙し、いかにも原発再稼働に慎重であるかの如く印象付け、票を獲得しようとしたことが浮かぶ。国や県の風に乗っかり、長岡市民の民意を「原発容認」に仕立て上げる腹積りであったことがハッキリしている。その腹積りが東電の自滅的不具合で時間的に遅延しているだけのことである。おまけに花角知事に「長岡の意向をどう取り扱ってくれるのか」などといかにも市民寄りの芝居(茶番劇)を打って、誤魔化そうとしている。そして最終的には「長岡市民の民意は再稼働容認である」というところへ強引に突き進むであろう。長岡市民の知力が問われることになると思う。

 

 

長岡市政を糾し正そう・・・真の民主主義を求めて(その46)市議会改革への提言

7月9日付けで出した市議会議長への手紙【GL-2】に対する回答がようやく来た。【GL-2】では、”市議会基本条例を規範として日夜改革に取り組んでいるのなら当然先の官製談合事件の真相解明を加速するべし”と提言した。

来た回答(【GR-3】)は、”個別見解には議会としての統一的な回答は差し控える”という躱しの回答であった。

 【GR-3】

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そこでさらに次の手紙を出した(【GL-3】と【GL-4】)

【GL-3】

長岡市議会議長/事務局 様

ご回答ありがとうございました。

長岡市議会基本条例」に基づき、公正かつ民主的な議論を尽くし地方自治の本旨の実現に努める。素晴らしいことです。議長選出方法を自発的に18年ぶりに改革できるのはその証であると受け止めています。

しかし、そのお言葉と裏腹の実態を感じ、私が前便でお尋ねしたのは。例えば官製談合事件の真相解明を未解決のままにしている議長/議会の姿勢は「長岡市議会基本条例違反」ではありませんか?ということです。市議会の姿勢に疑問を感じ質問しています。官製談合事件の真相が未解決であることは個別見解ではありません。議会役所の全体基本体質見解です。

いただきました回答文を心理哲学を基に深層展開解読したらそういう疑念が浮かびました。再度お尋ねします。市議会基本条例遵守の証として官製談合事件の真相解明に改めて取り組んでいただけませんか。あの事件は一職員の出来心によるものではなく、市長を含む組織犯罪であり、役所と議会の体質を表すもので個別案件というような軽いものではありません。いかがですか?


      令和3年9月13日  小林 眞幸

 

【GL-4】

長岡市議会議長/事務局 様

先の私の9月13日付けのお尋ねに加え提言させていただきます。合わせてご検討いただきますようお願いいたします。私は常々国政/県政/市政を問わず「政治」を見つめる眼差しとして次の事柄を心掛けています。

◆民のちから(力、主)

 民主主義の土台である民の力・民の主が健全で堅固であるか。目先の物的。金銭的ご利益を追い求めるあまり、真の価値を忘れていないか。

◆公正=正義

 真実に立脚する善なる営みか。真実と虚偽、善と悪の四つの組み合わせの内、真実に立脚した善だけが公正=正義です。陥りやすい間違いは虚偽による善です。

◆正しいことをする が実行されているか(Do the right thingsになっているか)民とそして民から信託を受けた為政者(議員と役所)双方が、自身の資質・価値観によって発出される誠実・真摯・高潔な決心(インテグリティ―   Integrity)を以て責任ある態度を取っているか。これらの事項は長岡市議会基本条例の精神に全て謳われており、それを発揮されて議長選出方法を改められたとお聞きしたので歓喜いたしました。

 

それをお聞きする以前は次のように感じていました。

◆民のちから(力、主)

 官製談合事件という深刻な組織犯罪の中心的人物が市長に再選されてしまうほど民の眼は曇り、ちから(力と主)を失っている。

◆役所の「お上意識」と「お神意識」、そしてそれを糾し正すことが使命であるはずの議会が糾し正すどころか役所と癒着もたれ合をしている。

加えて上述の民の力の劣化を梃子にして胡坐をかくという「衆愚政治」の横行。これら二つにより民と議会の間に血栓が生じ鮮血の循環が止まっている状態であること。

私はこれを「利権病」と呼んでいます。この利権病という基礎疾患のため様々な合併症が発症しつつあるのが今の長岡市であること。その合併症発症の一つが官製談合事件です。このままだと次々に合併症が発症する怖れがあること。

 このことを可視化したチャートを添付でお届けします。以前お届けした「民主主義長岡市政」というチャートと比較検討してみてください。

◆正しいことをする(Do the right things)べきところ、正しいとされていることをする

(Do the things right)になっていること。前例主義、無責任主義、事なかれ主義になっていること。

 

そう悲観しておりましたところに議会自身の内発で「市議会基本条例」を規範とする改革を宣言されましたので飛び上がるほどの歓喜を覚えた次第です。是非とも宣言通り改革を進めていただきたくお願いいたします。そしてお題目の宣言だけでなく証として取り組みの具体的プログラムをお示しください。そのプログラムの中には官製談合事件の真相解明が盛り込まれるべきことは当然です。プログラムの全体骨格の策定が困難の場合、手探りでの課題設定でも結構です。私も余生を投じてご協力させていただきます。

           令和3年9月14日   小林 眞幸

添付チャート(再掲)

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長岡市政を糾し正そう・・・真の民主主義を求めて(その45)原発問題に関する問答

来た回答が相変わらずのらりくらりで酷いものだったのでカウンターを出した。ただ、前便での私の質問が愚問であったのでそれを取り下げ謝罪したうえ、角度を変えて提案と質問をした。

 

【Lー32】

長岡市長 磯田 達伸 様

回答ありがとうございました。

先の私の質問の一つ「長岡市民の不安が解消されたかどうかをどうやって判断しますか?」は大変な愚問であったことに気づきました。市民の不安は解消されないことが決まっているからです。国が長岡市にも原子力災害時に備えた避難計画を策定することを義務付けているということは、長岡市原子力災害の不安があることを宣言していることになります。国が不安だと言っているのに長岡市民の不安が解消されることはあり得ません。従って長岡市民の不安が解消されたかどうかを調べる行為は全くナンセンスです。お騒がせの質問をしてしまったことお詫びいたします。そこで改めて少し角度を変えて原発政策に対する提言と質問をいたします。

 大所高所から見て、原発問題で磯田市長が守らなければならない命題は次の二つです。

❶民主主義の大原則

❷市民の命と生活

 

❶民主主義の大原則 これは原発だけでなくすべての政策の根底にある共通の命題です。賛成か反対かの市民のインテグリティーによる責任ある意思表明は最大限尊重されなければなりません。原発問題で言うと、原発再稼働に賛成か反対かの市民の意思は最大限尊重しなければなりません。しかるに今長岡市はこの市民の意思を広域立地自治体である県に委ねようとしています。これは最大限尊重されたことになりません。長岡市が自分で東京電力と事前了解権を含む安全に関する紳士協定を締結する道があるのにそれに向かっていないからです。これでは長岡市民は命と生活守る権利がなく、民主主義的とは言えません。

 質問①:この観点から、東京電力と事前了解権を含む安全協定を締結することを目指す                 べきと考えますが、いかがですか。

 ❷市民の命と生活 今現在、国は東京電力の不祥事のため再稼働の準備活動を禁じており、すぐに再稼働することはありませんが、東京電力の懸命の対策により是正されて国の審査がOKとなる日がやがてきます。また県の検証もOKになる日が来ます。その時長岡市民は自分たちの命の安全と生活の継続を天秤にかけた一大決心を迫られます。その際重要なことは市民一人一人が正しい情報と知識に立脚して決心することが可能か?ということです。エネルギー政策に偏重し原発推進に向かう国(県もかもしれない)には推進に向かった強大なバイアスがかかっています。このバイアスを消去して真に正しい判断ができるだけの知力が市民に備わっているとは到底思えません。その大きな穴を埋めるのが政治だと思います。避難計画の策定など懸命に取り組んでおられることは承知していますが、これは危険の緩和策でしかありません。しかもその策の本質からして全員の命と生活が守られる完璧なものではなく、見殺しにされてしまう市民も出てきます。避難計画とはそういうものです。そして一大決心をするときの判断には、大きなバイアスを除去した真に正しい情報提供をする方策が必要です。

 

質問②:バイアスを除去した真の情報提供の更なる推進や避難計画と訓練の整備の強化     のプログラムはありますか。あればお示しください。

質問③:市民が重大な意思決定をするに足りる知力を得たかどうかを確認する必要があると思いますがどうやってやりますか?

質問④:重大な意思決定の方法はどうするお積りですか?住民投票ですか、議会議決ですか、 信を問う市長選挙ですか、など具体的な予定をお示しください。

   蛇足ですが冒頭で言いました私の「愚問」に対するお答えの中でこの重大な意思決定を「再稼働の手続き」と述べられましたが大きな違和感を感じました。「手続き」という用語が醸す意味は再稼働に賛成か反対かは別のところで決定され、市民の意思はその決定に当然従うというニュアンスがあります。役所の中にこのような用語の用法が散見されますが、「お上意識」を感じます。民主的ではありません。反論ありますか。

質問⑤:冒頭述べたように市民の不安は解消されないことは決定しています。従って磯田市長が辿るべき道は

公約「市民の不安が解消されない限り再稼働は阻止する」を守るのであれば

   1)花角知事に「周辺自治体のすべてが再稼働に賛成する場合以外は再稼働に賛

                 成しない。一つでも反対の自治体があれば県は反対する」との確約を得る。

   2)それがダメな場合は長岡市東京電力と事前了解権を含む安全協定を締

                 結することを目指す。

 の二つに一つです。どの道を辿られますか?

   それとも公約は破棄されますか?

【提言】

最後に提言を申し上げます。質問①と⑤の2)と重複しますが、

❶と❷を合わせると磯田市長が辿る道は、東京電力と事前了解権を含む安全協定を締

結することを目指すしかないのではないでしょうか。

 令和3年9月8日    小林 眞幸

長岡市政を糾し正そう・・・真の民主主義を求めて(その44)原発問題に関する問答

【R-26】がひどい回答だったのでどうやってカウンターを出すか思案中、前の手紙【L-31】の設問の内「市民の不安が解消されたかどうかはどうやって判断するのか?」は大変な愚問であったことに気づいた。市民の不安は絶対に解消されないことが決まっているからだ。安全神話が崩れ、国が当該自治体に避難計画と訓練を義務付けているということは国自身が「不安がある」と宣言しているのと同義であるからだ。国が不安であると言っているのに長岡市民が不安が解消されるということはあり得ない。

 そうすると磯田市長が辿るべき道は次の三つに限られる。

公約を死守する立場から❶花角知事の「周辺自治体のどこか一つでも再稼働反対の意向なら県は再稼働反対する」という確約を取り付ける。❷それがないときは長岡自身が東京電力と事前了解権を含む安全協定という紳士協定を締結する。の二つに一つである。そして、公約不履行を覚悟する場合❸市長辞任。の三つの選択肢がある。

磯田市長の公約から離れて市民が、不安は解消されないが再稼働を容認するという選択肢は論理的には残されているがこれは現実問題として無いに等しい。

以上を踏まえこれから【L-32】を準備する。

 

長岡市政を糾し正そう・・・真の民主主義を求めて(その43)原発問題に関する問答

【L-31】に対する回答がようやく来た。

磯田市長の公約「市民の不安が解消されない限り柏崎刈羽原発の再稼働には反対する姿勢を貫く(すなわち再稼働を阻止する)」を果たすには、❶広域立地自治体として事前了解権を持っている県が「周辺自治体の一つでも(例えば長岡市)再稼働反対の意思であれば、県として再稼働には反対する」と約束してくれるか、さもなくば❷長岡市東京電力と事前了解権を含む安全協定を締結するしかないが現状は両方ともない状態である。

 

そこで【L-31】で、次の点を問うた。

1)5月に磯田市長らが花角知事に出された要望書は上の❶を要望したということか?

2)花角知事から❶の約束が得られない場合、❷に向かうのか?

来た返事は

「花角知事の考えが明らかにされれば長岡市の考えを(知事に)伝える」

である。知事とのやり取りの話なので手の内を明かすことはまずいにしてもなんともはっきりしない話である。❶、❷の両方が決まっていないのに公約をどう果たすつもりであったのか不思議である。論理的におかしい。国の審査と県の検証がOKになれば自動的に市民の不安が解消されたと見做すという観念があるとしか思えない。

 

 

もう一つ【L-31】では、

3)市民の不安が解消されたかどうかはどうやって判断する積りか、議会議決、住民投票、市長選、それとも市長判断か?と問うた。

来た返事は

「再稼働の手続きの話は国の審査や県の検証が終了していない段階では議論できない」

というものであった。

国の審査の結果や県の検証の結果と長岡市民の不安の解消判断方法は無関係である。

単なる頓珍漢ならまだ救いようがあるが、市民の不安が解消されたかどうかを判断する営みが再稼働の「手続き」であると本当に認識しているのだとしたら大問題である。

再稼働ありきで市民の不安はないことにするという観念が見える。

 

【R-26】を掲載しておく。

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